蛙の子はかえる |
柑橘中心の農業をしていた親の背中を見て育った島田さんは、自身でいう「蛙の子はかえる」のように農業に従事することを決意する。島田さん29歳の時である。
しかし、そこに辿りつくまでには紆余曲折を経ることになる。
10代で就職した某飲料メーカーでは営業を担当、四国で2位の成績を収めながらも退職。転職や結婚。クレーン免許を取得し、クレーン会社設立。その数日後に実父が倒れる・・・。父の病気をきっかけに就農という道を歩むことになるが、それもやはり両親の影響であった。
だからといって、全くためらいがなかったというわけではない。「農業」の難しさは親の背中をみていれば分かることだった。すでに家庭を持っていた島田さんは妻に相談した。 |
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前回の特集でも紹介した、
「家族経営協定」について語られた島田氏 |
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その時、奥様はこう答えたのだそうだ。
「クレーンでも、農業でも、構わない。私はあなたに着いて行きます」 |
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決 意 |
島田さんはその言葉を胸に就農を決意する。しかし、農業の道は決して順風満帆には進まなかった。
もともと柑橘系の農業を営んでいた父は、キウイへ変換を図ろうとする氏に対し、猛烈に反対。ようやく取り掛かった香緑の価格暴落など、次々に大きな壁が立ちふさがる。それでも、「かがわオリジナルの新品種キウイに賭けよう」という気持ちは揺るがなかったという。
自分自身が味に惚れ、生産を始めるようになってからは「いいものを作っていれば、きっと人は判ってくれる」その意識を絶やすことはなかった。商品を取り扱ってもらおうと、百貨店に何度も足繁く通ったというエピソードからは、自分の力や香緑本来の味を信じ、突き進んだ島田さんのキウイに対する熱い想いが感じられた。 |
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1,000円香緑 |
「いくら百貨店とはいえ、こんな高い値段のキウイは置けないよ」
毎日のようにキウイを持って訪れる島田さんに、担当者は苦い顔をして言った。それでも島田さんは諦めなかった。味や品質は誰にも負けない自信があったのだ。1個1,000円のキウイを抱え、担当者に詰め寄るシーンもあったという。
その甲斐あってか、13回目の訪問でようやく商品を扱ってもらえることが決定!しかし実際に行ってみると、香緑はフルーツコーナーではなく、野菜売り場に置かれているではないか!しかも、じゃがいもとたまねぎの隣・・・。
「ちょっと待ってくださいよ・・・」力なくとがめる島田さんに担当者は言った。
「うちの店での分類表を見るとキウイは野菜になっているよ」
「果物ですよぉ・・・」
結局泣きっ面のまま、野菜売り場での販売をスタートさせることとなった。 |
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初めてのお客様 |
そんなスタートから何日が過ぎただろう。突然購入者が現れた。
初めてのお客様は年配のご夫婦だった。カレーの材料を購入しようと野菜売り場でじゃがいもを手にとって見ていたところ、視界の脇に毛むくじゃらの大きな???を発見!これがお客様と香緑の初めての出会いである。
「あのー、これキウイですよね??1個1,000円??ゼロが一つ多いんじゃないの?」
「いやー。それがね、間違いじゃないんですよ。善通寺の方でちょっとこだわり屋の農家さんがいてね。置かせてくれっていうもんだから・・・」
店員もまさか売れるとは思っていなかったに違いない。そんな店員に向かってご主人はこう言った。「おもしろい!1個買ってみよう!」!!!
というわけで、1個1,000円の香緑は初めてのお客様のもとへと旅立ったのである。そしてその夜、香緑を味わったお客様から百貨店に電話が。
「あの香緑っていう名前のキウイ、お歳暮に使うわ。34ケースお願いね」
平成元年12月14日のことである。 |
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キウイの道 |
その後もじわじわと香緑の味を全国に向けて売り出し、ついに東京進出も果たした。
しかし、いかなる時もそこには大きな壁が待っていた。見たこともない、食べたこともないものがそう簡単に受け入れてもらえるわけがない。最初に歩く道はどんな道でも障害が待っている。でも、本当に美味しいもの、真心を込めて作ったものなら、人は絶対に帰ってくる。その信念を貫こうとする島田さんの目にはまだ計り知れない野望が潜んでいるようにも見えた。
今回の講演会ではキウイ以外のものを栽培されている農家さんもたくさん来られていた。そんな方たちに向けて、島田さんは最後にこう付け加えた。
「農地は資産ではなく、資本である」
世間の農業に対する認識不足、食に対する無意識を払拭するかのように力強く言い放った。 |
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教室形式ではなく、参加者全員の顔が見えるようにという主催者側の配慮が伺える。講演会というよりも談話会の雰囲気 |
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